[kouryukan 700] 屋久島紀行   2001/6/6   山中光雄
2000/06/06
Subject: [kouryukan 700] 勉強会通信25  屋久島紀行       

翌朝、まだ雨は降っている。8時にホテルを出発。もう何度も通った道路を「ヤクスギランド」へと向かう。40分ほどバスに揺られ安房というところで右折。舗装されてはいるものの狭く急な道を進む。たんかんを栽培する果樹園の屋久猿による食害を防ぐため電牧が道路沿いに巡らされている。スギの人工林が僅かながら造成されている。カーブの連続、標高が上がるにつれ、植生が変わってくる。モミの葉のようなシダ類、カシ、タブ等の照葉樹林帯、樹齢1000年未満の小杉が見えてくる。

1000年を超えなければ屋久杉とは呼ばないとのこと。
7200年の縄文杉へと向かう荒川林道入り口との分岐点から約10分「ヤクスギランド」駐車場へ到着。 雨がかなり降っていたが、幸いにも霧はなく見通しが効き30分の探索コースを歩くことにする。遊歩道が杉材で整備されているが、雨に濡れ滑りやすくなっている。
靴は革靴では危ないだろう。私達は全員歩くことを予想しており支障がなかったが、観光目的の人の中には難渋する人もいることだろう。

森林の自然の傘のお陰で雨は直接当たることもなくあまり気にならない。歩き始め間もなく、夏椿(シャラ)のような肌をした胸高直径40cmぐらいの木が見えた。標識を見ると、「リョウブ」とある。驚いた。こんなに大きくなるとは思いもよらず、夏椿ならば男山の下にかなりの大木があったことを覚えているが、リョウブは西毛木場で15cmぐらいの木を見たことがあるだけだ。
本来高木にはならないと思っていた。川上のコメツガとは種類が違うようだが栂の木も幹の太さが150cmを越えるような大木が見える。一体何年生きているのだろう。屋久島は樹々にとって不老長寿の世界なのだろう。所々に赤みを帯びた金色の幹を持つ高木が見える。「サルスベリ」だ。まるで磨いたようなすべすべした幹、いや肌と言ったほうがふさわしい。
60cmぐらいの直径があるものが多い。床柱にこのままできるのではと下司な考えをしてしまう。急な階段を降りて行く。

「林泉橋」という吊り橋が架けてある。川の流れは緩やかだ。
青緑の淀み、花崗岩が風化し石英が中心だろうか真っ白な砂、屋久杉や栂などの緑、それに黄金色のサルスベリ何という調和だろう。この暗さの中ではバカチョンで表現できないことを承知で思わずカメラを構えてしまう。
暫く歩くと、古く大きな屋久杉の切り株がある。ガイドの説明によると、300年ほど前から年貢代わりに、屋久杉を切り屋根の白木として納め始めたとのこと。地形が悪く、今のような搬出手段はないため伐採した場所で白木に割り人力で持ち出したらしい。
白木は通直でなければならないので、根に近い部分は割れにくい。
このため、根から2m以上高いところから伐採した。また、試し切りし加工しにくいものは放置したらしい。このため、当時の切り株や伐採木が土に埋もれ残っている。これを「土埋木(どまいぼく)」といい、現在、森林管理署が掘り起こし販売、屋久杉製品に加工されているそうだ。屋久杉は一般の杉の10倍以上もヤニが含まれているとのことで、このため腐りにくく磨けば磨くほどつやが出る。この土埋木も最近では少なくなり、ある土産物店で聞いたところ、「これで商売できるのも後、数年でしょう。」ということだった。「双子杉」「くぐりすぎ」と名づけられた屋久杉を通りすぎると第2駐車場へと出る。30分コースの終わりだ。

再び、バスで10分今度は「紀元杉」。「あれ、また杉の歩道がある。以前はなかったのに………。」沢山の人が訪れ根を踏まれ樹勢が衰えることを防ぐことと、あろうことか紀元杉の皮を剥いでいく輩がいるため止むを得ないの処置とのこと。
一回りして紀元杉を見上げる。先端は枯れている様に見えるが、斜面の下側から見るとまだ元気に見える。栂、桧、屋久島シャクナゲなど10種類をこえる色々な着生種があるそうだ。推定樹齢3000年、縄文時代から生き続けるこの紀元杉のほか世界遺産に登録された地域には7200年の「縄文杉」、これ以上の樹齢の杉もあるらしい。

今回と7年前、2回屋久島を訪れたが、屋久島を知るためには宮之浦岳へ登らなければならない。10時間の登山行程だそうだ。
登山できる状態で再度来訪することを胸に、屋久島を後にした。